実際存在しているのだろうか
2006年8月21日 日常たまに
自分に見えているものは
果たして他人にも見えているのだろうか
とふと思うことがある。
例えば
夜中に、1人で歩いている小さな子供。
10時を過ぎた頃に
子供が1人で、または子供だけで歩いていると妙に違和感を感じる。
その他にも
さっきまでどこにもなかった光。
急に目の前に現れて目の前をふわふわ飛んでいる。
虫でもなければ、車のランプでもない。
つかめそうに見えてつかめない距離を浮いている。
わたしに見えているこれらは果たして他の人にも見えているのか。
そんなことを考えているうちに、
今、わたしが出した商品のレジ打ちをしているこの目の前のコンビニ店員も、他人に見えているのだろうか、本当に存在しているのだろうか、
とまで思ってしまう。
目に付く全ての人に対してそう感じたら、
最終的に
「そもそもわたしは他人の目にちゃんと映っているのだろうか」
とまで考えるのである。
「わたしは本当に存在しているのだろうか」
とかね。
その次は
「この世界は、本当にあるのかな。
地球は本当にあるのかな。
わたしはちゃんと生きているのかな。
本当のわたしは、ずっと病院かどこかで寝ていて、
長い長い夢を見ているだけなんじゃないのかな」
なんて考えてしまう。
そこまで行くと
何もかもがどうでもよくなってしまい、
一生懸命生きても、めちゃくちゃに生きて死んでしまっても
別に悲しむことはないんじゃないか、傷つくことはないんじゃないか
なんて考えてしまう。
わたしは本当にお母さんから生まれたの、とか
本当にお母さんなんているの、とか、
わたしが好きで好きで仕方なかったあの人、
わたしをとても大事にしてくれたあの人、
本当に、いた人なのかな、って
わたしが大好きでしょっちゅう散歩していたあの土地のあの道は
本当に通ったことがあるのかな、行ったことあるのかな、って
真剣に考えてしまったりする。
たまに考えたりしていたのだけど
ここのところ頻繁なのは
少し疲れているのかな?
自分に見えているものは
果たして他人にも見えているのだろうか
とふと思うことがある。
例えば
夜中に、1人で歩いている小さな子供。
10時を過ぎた頃に
子供が1人で、または子供だけで歩いていると妙に違和感を感じる。
その他にも
さっきまでどこにもなかった光。
急に目の前に現れて目の前をふわふわ飛んでいる。
虫でもなければ、車のランプでもない。
つかめそうに見えてつかめない距離を浮いている。
わたしに見えているこれらは果たして他の人にも見えているのか。
そんなことを考えているうちに、
今、わたしが出した商品のレジ打ちをしているこの目の前のコンビニ店員も、他人に見えているのだろうか、本当に存在しているのだろうか、
とまで思ってしまう。
目に付く全ての人に対してそう感じたら、
最終的に
「そもそもわたしは他人の目にちゃんと映っているのだろうか」
とまで考えるのである。
「わたしは本当に存在しているのだろうか」
とかね。
その次は
「この世界は、本当にあるのかな。
地球は本当にあるのかな。
わたしはちゃんと生きているのかな。
本当のわたしは、ずっと病院かどこかで寝ていて、
長い長い夢を見ているだけなんじゃないのかな」
なんて考えてしまう。
そこまで行くと
何もかもがどうでもよくなってしまい、
一生懸命生きても、めちゃくちゃに生きて死んでしまっても
別に悲しむことはないんじゃないか、傷つくことはないんじゃないか
なんて考えてしまう。
わたしは本当にお母さんから生まれたの、とか
本当にお母さんなんているの、とか、
わたしが好きで好きで仕方なかったあの人、
わたしをとても大事にしてくれたあの人、
本当に、いた人なのかな、って
わたしが大好きでしょっちゅう散歩していたあの土地のあの道は
本当に通ったことがあるのかな、行ったことあるのかな、って
真剣に考えてしまったりする。
たまに考えたりしていたのだけど
ここのところ頻繁なのは
少し疲れているのかな?
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